刑罰ではなく研修制度としての「島流し」を考える
研究の概要
このレポートではかつて重罪人に課せられる「刑罰」として使われてきた「島流し(流罪)」を企業の福利厚生として用いられる可能性について考察します。
刑罰を福利厚生に用いるというだけで、信じられないほどブラックな論客に聞こえますが、本研究では「21世紀の島流しは半分バカンスである」という視点に立つことで、ホワイト企業の研究制度としての可能性を見出します。
背景
ランサーズの調査によるとフリーランスで働く人口や、所得の割合が年々増えているそうで、これは日本が「組織の力」ではなく「個人の力」が求められる時代に変化しつつあることを表しています。
アメリカの調査では、2027年にはフリーランス人口がノンフリーランスの人口を超えるという結果も出ており、今後日本においても広義のフリーランスが伸びる余地が見込めます。
「フリーランス実態調査 2018年版を発表」ランサーズ(2018.04.04)
しかし、企業で行われる研修の多くは「グループワーク」を中心とし、個人ワークの研修においてもメンターや同僚が近くにいる状態での実施が前提となっています。
つまり「真の個人ワーク」を実践するのであれば、島流しされるしかないのが現状なのです。
実験内容「人間島流し」
「島流し」の研修制度としての有用性を確かめるべく、2019年12月20日から29日までの10日間において私が佐渡島へ流された経験を今回の「実験結果」として用います。
ここでは詳しく触れませんが、私は株式会社人間への“入社試験”として10日間で1000企画するために佐渡島に流されました。これは「人間島流し」というタイトルで公に実施されています。
現地では民宿に泊まり込み、食事・生活費は自腹、会社からの支給品はキャリーケースと広辞苑でした。言い出しっぺは「何でもいいから入社試験をしてくれ」と言った私なので、これは『主体的な島流し』になります。
本研究で提唱するのも、流す側と流される側の合意が取れた『主体的な島流し』なので、その点はくれぐれもご注意ください。
結果と考察
島流しの結果、被験者である私が感じたのは「完全に個人な状態で過酷な試練を与えられると、人間は自分の足りない部分を補おうと努力していく」ということです。
私が実際に体感したものをご紹介します。
人間は島流しされることで、自ずと足りない部分を実感し、そこを修復するために考え努力することが分かりました。つまり島流しをすれば「課題の把握」と「解決方法の策定」が同時に行えるということになります。
ブラックなのかホワイトなのか
「島流し」と聞いた時点で「刑罰」のイメージが浮かぶため、これだけのメリットがあってもブラック企業の烙印を押されたくない企業側は導入を躊躇われることでしょう。
しかし、半強制的に隔離されているという事実を除けば、離島で非日常な体験をするという意味で「BANG! BANG! バカンス!」ならぬ「半分バカンス」であるとも言えるでしょう。
実際、古代の刑罰として用いられていた島流しでも、罪人は流刑地にて地元の人々と交流しながら普通に暮らしていたそうです。特に死刑にできない貴族が流されることの多かった佐渡島では、上流文化が栄えたという説もあります。
政治犯は多くの場合文化人であり、特に古い時代は貴族等位の高い者が多かった。したがって、その様な人物が多数流される地には豊かな文化が伝えられ、栄える例が多い。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まとめ
流刑地は人材を進化させる「ガラパゴス諸島」かもしれない。
島流しは人間の欠点をあぶり出し、対処法の検討までを動機づける究極の研修機能であることが分かりました。流刑地は進化するための「ガラパゴス諸島」ということです。
平安時代末期、流刑先から挙兵してして平家を滅した源頼朝は、もしかすると流刑先での進化を遂げたおかげで鎌倉幕府を開くことができたのかもしれません。